ブルーウェーブ

トンネルを抜けたのはいつだっただろう。もしかしたらまだ暗闇の中を歩き続けているのかもしれない、それも分からない。定演が終わってからもう長い時間が経っているような気もするし、つい昨日の話のような気もする。

要するに長いこと気の抜けた生活を送っていたのである。大学生活が特に充実していたとも思えないが、社畜としての生き方はそれ以上に実のないものだ。仕事そのものは高校生のバイトでもできそうなものだし、仕事というよりは作業に近い。自分がここにいる必要はないのではと感じることも少なくないが、それは思い上がりで、現状とは自分がそうしてきたからそうなっている。無論、人生には少なからず運が絡んでくるということに否定の余地はないが、それを言い訳にできるのは努力が伴った人生だけだ。運と成り行きだけで生きてきた多くの人間が少しずつ運に見放され、実力通りの枠に収まっていくのは当然といっていいだろう。

運命は変えられる、と思い込んでいる人は往々にして運命を変える努力をしないものだ。現状にそこそこ満足している(そこまで不満をもっていない、という方がいいか)と、檻の中の"本当の自分"を外に出してあげることはできない。まずその前に檻の中を覗いてみればそこはもぬけの殻、ということの方がほとんどだとは思うが。

「向上心あるんは結構やけど、あんまり他人と相対比較してるとめんどいで」とは千里山女子の船久保浩子先輩の言葉である。他人と比べるな、ただ自分を高めていくのみ、それは武道家か何かが目指すべき無の境地で、僕たちには到底不可能な話だ。自分がいれば他人がいる、それは当たり前の話なので、少し目線を下げて低いハードル、短期的な目標を設定しながらこれからを考えろというところだろう。

別に僕が「ビッグな自分」を志しているかといえばそんなことはないのだが、大学生活とここまでの社畜生活についての後悔は深い。後悔をしたところで何かが変わるわけではないし、思い描く未来もないので当面はこの状態が続くだろう。檻の中には誰もいないのだから。

ということを会社の同期の結婚パーティーに参加させられながら考えたのだった。大学時代に話してた内容と根本は変わっていないのでタイトル保留(仮称)をこっそり見ている人たちへの生存報告と捉えていただきたい。