20

久しぶり。毎日更新なんて夢みたいな話だ。Vie何とかやchorus何とかのようにはいかない。毎日ものが書けるのはよほどのリア充かよほどの暇人である。適度に暇で非リアである俺は特に書くこともなく、何かめぼしいネタを思いついても画面に向かう時間にはすでにあの辺に飛んでいる。ちなみに言い訳をしておくと、実家のPCは基本的に妹がニコニコしているので俺が使える時間が相当限られているためである。ただ単にめんどくさかっただけでもある。

というわけでこの3連休は帰らせて頂いてました。8、9を授業日としているこの糞立教などと考えていたが、同じような境遇の人間は他にもいたようである。あろうことか土曜日の午後まで授業が存在したという輩もいたそうだ。教育学科ワロス

俺の学生生活を順序づけすると、高>大>>>中とするだろう。小より下は自分のキャラ付けも今とはだいぶ違い、真面目な優等生でかつピエロを演じていたようなよく方向性が定まっていなかった状態で、みんなとは仲良くさせてもらって楽しかったといえば楽しかったのではあるがランクからは外すことにした。

中学は暗黒時代だったとも言えるかもしれない。中1の秋に富山にやってきた俺は何も知らない環境に投げ入れられ、ひどく戸惑っていた。みんなそれなりに接してはくれたのだが、転校当初に同じクラスになった男(誰かは覚えていない)にもらった助言で一番印象に残っているのは「アイツとはうまくやってた方がいいよ」だった。俺は愕然とした。そいつが要するにDQNであることは分かった。神はいつも無条件で愛せる隣人を与えてはくれない。

高校より上になると、そこそこに階層分けがなされるので腹の立つほど頭の悪い奴というのはいなくなるものであるが、中学校はそうもいかず、なぜこんな糞と一緒にされなければならないのかいつも萎えていた。ただそんな俺も糞であるのは自明のことであった。

要するに今で言うところの「中学校時代イケてないグループ芸人」みたいなところのポジションであったわけだが、その中の連中とはとても仲がよく、冬の休み時間ストーブの周りでgdgdとだべっている時間はとても楽しいものだったと記憶している。主に俺がいたテニス部(当時テニス部ははやる気のないgdgd部活であった)や剣道部のその中の何人かとは今でも年一ぐらいでは会うし(特に正月な)、たまにしか会わなくなった奴らとも変わらない空気を提供してくれる。

その中にもDQNちっくなのはいて、リーゼントのとび職となった男や息子と嫁を連れて成人式に現れた男もいる。でき婚w スッコンバッ婚www そういうのがいることを考えると、全ての人間と分かり合える余地があったのかもしれないと思うこともある。コミュニケーションは初期対応がポイントなのだろうか?初期対応の問題なのか?やっぱりどうしてもダメな奴はダメなのではなくて? 今でも立教新座出身と思われるどうしようもないのを見かけたときにも、もしかしてこいつらとも幼少から仲が良ければこんななりの今でも仲良くやれるのだろうか、と思うことがないこともない。

方向性が固まらない小、中学校時代でしか成立しない友人契約の成立、みたいなものなんだろう。住む世界が変わってしまえば新規契約はその世界の中でしかできない、いやむしろ自分が受容できる世界の人間しか受け入れられなくなってしまうのだろうか。

とにかく、中途加入であった俺を暖かく迎え入れてくれた面々には大きく感謝している。中学校時代は一番つまらない時代ではあったが、その中でこその仲間は逆に一番好きな奴らだな。また遊ぼうぜ。

大人ってやだねー(←結論)