「体位という発想がある時点でまだまだなわけだが」
というのは何とか先生が発したこの合宿最大の名言である。むしろ収穫といえばこれぐらいしか無かったといっても過言ではない。何があったのか知らないが、春と同じく学年ごとの割り振りがなされた今回の部屋割りでは、めでたくCS進出を果たしたtんk、不発弾tksk、「ysd 糞」、kwskこと押尾そして俺というやまだかつてない未曾有のクズ部屋が構築された。tkskにより高天ヶ原ヒルズ305号室と命名されたその部屋で僕たちは特に不自由のない7日間を送るはずだった。結局1女によって他サークルから持ち込まれた新型インフルであるが、リア充によりめんどくさいことになってしまったことが悔やまれてならない。

さて、結局何も得るものがなくこの糞つまらなかった合宿について罵詈雑言を並べ立てる予定ではあったのだが、ゴウマネや幹部連中の働きにも一定の評価を下した上で、僕はその恩恵を享受する一般団員であると考え一部腹の立つ言動もやむを得なかったものとして判断し、特に大きく取り上げることはしないと決定した。

が、服を脱いで寝た結果、強制送還の憂き目にあった某氏(kんd、tkhsなどベースにおける感染拡大は彼の功績によるところが非常に大きい)や、練習自粛という状況のもと自室待機の指示が出ている中、セーラー服を着て廊下を歩き回る1女(1男もいたらしいが)等、アホとしか言いようの無いゆとりが出てきたことは予想通りとはいえ嘆かわしいことだった。女声幹部は「私たちはこまめな検温の義務付けとマスク着用など、男声の甘い政策とは違って的確なインフル対策であった」と勝利宣言をしているようだが、確かに幹部の動きや采配はまっとうなものだったかもしれないが、最終的に1時間とはいえ外出許可を出したりゆとりが放置されるなど現場レベルでは穴が多く、人に文句を垂れている場合ではないように思えた。女声の持参した体温計を男声側に貸し出すにあたって、食後の連絡の場で「嫌だとは思いますが」とか言ってしまう奴がいる辺りも僕たちのこれだからブスはという考えに拍車をかけるものであった。

僕は4日目の23時の検温においてテルモ謹製の体温計で36.9度を出し皮一枚を繋いだが、オムロンで測り直すと37.1度となり、温泉の薬効成分を流さなかったから熱いに決まってんだろボケなどと抗議するも、抵抗むなしくtんk、bkk、あkm、おkb、あdc、sh−h−両パーマスと共に正技(性戯)部屋を隔離室として寝ることになったのであった。その夜はあkm裁判となり、下衆な質問が飛び交い、またおkbが要所要所ですべらないことからひどい惨状が広がった。くだらない談義は結局深夜2時頃まで続き(bkkに関してはさらに30分間寝付けなかったという)、ここに本当に体調が悪い者は誰一人としていないということを誰もが確信したのであった。しかし翌朝の検温でみな35度台を叩き出し「ざまあww」と歓喜の雄叫びを上げる中、おkbが37度ジャストで朝食から隔離され最終的に霊柩車と化したバス3号車に詰められたあたり本当にすべらない男である。裁判の内容は僕の口からは喋らないので他の人に聞いて下さい。

帰りのバスが出発するとき、宿の中の人の顔には心なしか安堵の表情が浮かんでいた。感染列島と化した地獄の4日間から解放される安心感は半端ないものだったであろう。バスの中でも、一足早く帰還した死者から診断の結果新型でしたという内容のメーリスがたびたび流され、体調不良者を詰め込んだ前述の3号車は言うまでも無く、女声バスとなった1号車でも体調を悪化させる者が続出、幹部からの騒がないようにというお達しもあり暗い帰京となった…はずであるが、2号車後方には俺、tんk、tksk、うt、あkmというクズシートが構築され、あkm裁判が再開。全員一度は(不当な扱いであったとはいえ)隔離された身であるということを微塵も感じさせず、点呼をするtんsにヤジを飛ばすなどロクでもない5時間を過ごしたのであった。

こうして僕らの夏合宿はまた潰れた。こんな時、どんな顔をすればいいのか分からないが、笑えないことだけは確かであった。