もう赤表紙はいらない


まあメサイアをやってきたわけだが

昨日は休みだった。グリーク ラブの日頃では考えられない前日休みである。度々話すことであるが、GPと本番の間には2、3日の間を空けたほうが色々と調子はよいのではないだろうかと言われている。やって効果のある練習と効果の無い練習というものがあり、本番前日の20時練などというものは後者の最たる例である。で、「明日は本番だから」と適当に理由付けをしてミトヤで普段やらないチキンカツカレーを食ったのだった。うまかったことはうまかったのだが、チキンカツはチキンカツとして食うべきなのではないか、と感じた。

今日は雨だった。GPではThe Lordをことごとくミスり(msd糞の"だぁーれだよ見てないのはぁー"という言葉は、文字では伝わりにくいが絶妙なイントネーションとリズム感で今回のメサイアを象徴する決め台詞となった)、ベースではおbが暴走、テナーは元からだめ、という合唱は完全に死に体となっていた。そこにgdgdのトランペットが加わり、やまだかつてないgdgdなメサイアを皆様にお届けすることが出来るのではないか、という不安が現実のものとなることを予感させる冷たい雨であった。

と思ったが本番はわりかしマトモな方であった。そんなことよりも僕らグリー男声が深く落ち込んだのは、女子水準における桶との歴然とした差についてであった。「15人ぐらいトレードしたい」「俺たちはブス慣れしすぎてしまった」「桶と共演すると現実が見えて萎える」「格差社会にも程がある」「もしかして聖歌隊にすら負けてないか?」周りからは口々にそんな意見が飛んだ。

結局のところ、どこにこの差は現れてくるのであろうか?「視線に磨かれる説」によると、グリーク ラブは交流を内部だけにとどめておくと「あのブスどもの目を気にしてもな」「あのキモオタどもの目を気にしてもな」とお互いに気にしなくなり、逆効果となる。逆に桶はなぜああなのか?と聞かれるとよく分からない。僕はグリーク ラブの人間だからである。強いて言うなれば「桶だから」と答えるよりないだろう。

つまりメサ実はやった方がいいよ、ってことだ。