良好な馬場

僕の足は止まらなかった。

試験が4限だけであったので、それが終わると同時に自転車をこぎ出した。やってきたのは馬場二郎である。どうやら新年より店舗移転をして心機一転再スタートしているようだ。駅からは若干遠くなったが、池袋には近くなった。新目白通りに面していて、西武新宿線の線路をまたぐ必要がない。頑張れば歩いて来れる距離であろう。少なくとも桜台よりは近い。

基本的に昼営業をメインにやっていくようだ。夜の部は開店から1時間ちょっとで麺切れ終了といういい商売である。18時過ぎがデッドラインとなることを考えると、元気館の夜練後に行く希望はなくなり、例え昼練であったとしても割と苦しい。そうなると必然的に昼に行くしかなくなり、ニンニクをコールする選択肢は自動的に無くなる。こうして世界はまたグリーク ラブからラーメン二郎を一つ奪った。

近年は練習前に二郎を食うことはほとんどないが、僕も一度か二度やったことがある。その一回は移転前の馬場である。確かそうだ、一年のときの定演練、榎町の地域センターで練習があった時だった。僕は昼に一人で二郎に向かった。当時から二郎にはだいたい一人で行くことが多かった。じっくりと味わい、自分の中でちゃんとした評価を下すためである(実際のところ当時はそこまで二郎派がいなかったばかりか、じぇt糞が早々と引退宣言を出すなど、肩身は狭まる一方であった)。

まだ小麦価格が落ち着いていて、値上がりする前のことだった(元から高かった馬場に関して言えば明らかな便乗値上げであった)。僕は下から2番目の大きさのラーメンを食った(と言っても常識に照らせばいわゆる"小"である)。トッピングは野菜アブラであったはずだ。記憶がかなり薄れているが、あの時は確かスープを完飲した。それくらいあっさりと食べやすい二郎であったと記憶している。

馬場の二郎の特徴と言えば、汚い店内、アブラで滑る階段、そして何よりも二郎にしては珍しく糞熱いラーメンを出してくることであった(フジマルに行ったことのある諸兄は分かるだろうが、あの店主は先にスープを作りおきするためにカウンターに出される頃には既にぬるい)。馬場の熱さは今も変わらない。

で、一杯食った僕は練習場に向かって歩き始めた。すると、05のおkb氏と出会ったので、そのまま馬場の大通りを二人で歩いていると、彼はあろうことか適当なラーメン店を見つけ、「ラーメン食おうぜ」と言い出したのだ。僕は死んだと思った。答えに躊躇していると「おごってやるよ」と言う。何か彼は勘違いをしていないだろうか。結局一杯ごちそうになった。案外あっさりと腹に収まったのである。割と満足していた僕の隣で当の本人は「ここイマイチだな」と厳しい評価を下していた。

それぐらい相性のいい(という表現が妥当か分からないが)二郎だったのである。ちなみにtkr、sksーという会計コンビに連れていってもらったこともある。ある練習の無い日、メトポリの近辺をフラフラしていると二人がいたのだ。当時旧マルジから改名したばかりのフジマルがうんぬんみたいな話をしていたからたぶん1年の9月ぐらい。僕が04と共に二郎を食したのはこれが最初で最後だと思う。馬場はある意味池袋よりも桜台よりも思い出の詰まった二郎なのである。

で、16時25分ぐらいに大学を出た僕は15分ほどで店に着いた。その時点ですでに7人の列が出来ていた。17時の開店時刻となりブラインドが上げられると、そこにはかなり狭くなった店内。12席であったが、コの字のカウンターの道路に面する部分は奥行きが全く無く、人の後ろは通れないので一度店の外に出て水を汲んでこなければならない。カウンターの高さにも驚いた。

出てきたラーメンはまっとうなものだった。馬場の特徴は残されていたが、前よりもおいしくなったような気がする。カエシが強く出るようになったのだろうか、最初は馬場の味がして、食べ進むに連れて少し桜台のような味に近づいたように思える。そして不思議だったのは、麺を食い終わった後にスープをすすると、フジマルのそれと同じ感覚(あの味を僕はプリッツを噛み続けた時の甘みと表現するのであるが未だ賛同を得られたことはない)になったのである。これは新しい発見だった。結局のところフジマルも二郎赤羽店であったことを考えると、根底には同じものが流れていてもおかしくはない。興味深い発見である。

いや、普通にうまかった。まだ桜台の方が好きだけど、
・電車で桜台に行く:650+140+140(椎名町から往復)=930 or
・チャリで馬場に行く:730+0+0=730
うーん、これは勝敗明らかか?というか桜台で一杯食うのにこんなに金をかけていたのかと思うと愕然。金のかかる食い物である。