ふぇあうぇる

さて、フェアウェルだったわけだが、すぐに書かないと忘れてしまう上に書く意志が減衰してしまうので、今帰ってきたところだけど書いてしまおうと思う。

今年は本館が使えず、色々と面倒事が増えた。これについては主に内政が被害を受けたのだが、僕らにもそれははきゅん、もとい、波及して、例の「家が近い特権」で朝9時に呼び出されることになっていた。しかし、俺とysd糞が駄々をこねた結果、ksskのはからいにより免除され、僕らは普通通り正午に学年練のためウィリホ地下に集まったのであった。

フェアウェルと言えば料理が出る割に誰も食べない→残飯処理→パート会死亡という流れが定番であるが、今日はそれに加えて昼は我家でつけ中+ご飯を食うというある意味フラグをへし折る行為を行ったのだ。tんkやtkskは、かの「つけ汁ドバー事件」の影響か、我家の店主に顔を覚えられているようで、「今日はみなさん同じ格好でどうされたんですか?」などと話しかけられていた。一方山小屋で昼食をとり勝ち組となったのがhysやmtbであった。

カクヤスで酒を買った際に「今日中に返してくれればいいですよ」と台車を貸してくれたのだが、我家にいる最中にtkskに「今すぐ返してくれ」という電話がかかってきた。お前が取りに来い、と。カクヤスは別に安くない(むしろ高い)上に接客業としてもカスレベルである。

そんなこんなでフェアウェルが始まった。

07男の笑いは前衛的でいまいち理解を得られないことが多々あるが、今回は比較的分かりやすいネタを使用した。一応解説しておくと、hysソロと見せかける→からのいssk、説明不要のI'm kssk、誰も手拍子をしない中kwskだけが叩き続ける、というネタであった。客席は予想外のところに反応するらしく、kwskに関しては上記のような狙いだったところが、予想以上に本人の手拍子が下手だったというところが思いのほか好評だったようだ。またおkmrによるやる気を微塵も感じさせないスラップスティックがよかった、という声もちらほら聞かれた。最初の部分で右手を胸にあてたのは、これを考えた前夜にサッカーの代表戦があったためであり、特に意味はないのだ。

1男…ライチャリダービー、今年は【セルフエスティーム−マルクリング−トムズフォレスト−ネイキッドバンブー】という結果でした。簡単そうで難しかった今回、【トヨタリコール−スーパースター−トゥーフィフティーバッソケリルマン】というネタ的に妥当な線に注目が集まっていたが、4年ワザケイは大きくそれを裏切って正統派なチョイスを行った。今回泣いた馬券師は多い。

1女…何やったっけ?気持ち悪いほどガチなだけはあり上手かった。

3女…尺、尺!

2男…ネタだネタだというので期待されていたが、wkbysが「ヤマト発進」コールをしただけで普通のヤマトだった。僕らはwkbysに過度な期待をしすぎていると思う。

2女…何やったっけ?

4女…略

4男…立つ鳥跡を濁しまくりである。安達原道造詩「合唱人みなキモけれど」はタイトル保留(仮称)的立場から高く評価されるべきであり、団歌にするべきだと思った。合唱を通じて充実した生活を送っている多くの女声はドン引きし、ざわめきが起こった。色々と事実すぎて「これは笑っていいのか?」というのが正直なところだったのであろう。その後に真面目に黒人霊歌をやったことは逃げにしか見えず残念だった。

そしてtんkは最後のエールを忘れたまま終わらせようとし、最後までgrdbだった。ちなみに混声についてレビューを書かないのは、基本的に混声発表には義務的な何かを感じずにいることはできないのであって、廃止されるべきであると考えているからである。

パート会で俺の席は「skt、ymd、tyd、hrbys、おkmr」といういわゆる「壁の向こう側」組で固められていた。割と静かだったが某トップや某バリトンなどよりはよほど面白い場だと思う。そもそもベースのパート会は参加者にベースたる何かがあって初めて意義を見いだせるものなのであるが、最も協調性のないパートという立場は来季も維持されるものと考えられる。

そうして次からはGを払う立場となるのである。

昆布合宿

さて、完全にこっちをサークル話に、日常はついったーで、という振り分けがなされてしまっているわけだが、明日から幹部合宿らしい。ここのところサークルネタがないので何も書かなかったのである。あったと言えばフェアウェル練だ。差し入れの中に「学年練でキワに並ぶのはこだわりですか?」みたいなコメントがあったように思う。こだわりと言えばこだわりである。特に混声練は何一つ面白くないのでできるだけ歌から離れようとする心が僕をキワへといざなうのだ。

前回の混声練もいったい何だと言うのか。就活で人がいないのは分かるがいくらなんでも女声がゴミすぎる。mckがピアノに取られ、stえrやckちゃんがいないだけで弱体化著しい。どこぞのアルトパーマスはちゃんとパー練をしたのだろうか?義務ぐらいは果たすべきである。

曲も何だかよく分からない。パー練中に「歌詞が中二くさい」とこぼすと「まああsnさんが嫌いそうな曲ですよね」とhys。よくお分かりでいらっしゃる。僕があの頃合唱嫌いになった理由のひとつは、主に歌詞に反吐が出るようなものばかりだったことである。中二くさい歌詞は男子中学生が最も嫌うはずで、愛と希望を歌わされることは、あの日の僕らにとっては終業式で君が代を歌わされる左翼教師のごとく屈辱的な仕打ちだったのである。あと、学校の校歌が済美みたいなものであったら僕は憤死していたであろう。高校の校歌は良かった、團先生にはとても感謝しております。

明日は幹部合宿らしい。まさかの一泊二日、やる意味に疑問符をつけざるを得ない。しかも男→六連練、女→自由という時間があって意味が分からない。丸一日しかやらないなら夜通しで練習とかした方が合宿感漂うのではないだろうか。絶対嫌だけど。

読まなくていいです

ブログ飽きたーめんどいー 放置もアレなのでtwitterに基づいてここんとこ何があったか書いていこうと思います。


ボッケもんにしろサブウェイにしろ、そもそも立教通りに作られること自体が間違っていたらしい。すた丼も桂花もとても怪しい。でも僕が提唱しているラーメン二郎立教通り店は普通に流行ると思うんだ。二郎関係者はバカなので、天候とか立地とかをあまり気にしない。臨休が多いと怒り出す、ただそれだけのことだから。


これは新しかった。僕は「あ、いいすよ」と言ったまでは良かったが、よくよく考えるとこれはだめだ、と思いそのまま店を出た。60分って短すぎるだろ。風俗か。喫茶店て基本的に入り浸るものな気がするし、商品に付加価値の無いベローチェなんかは特に場所提供としての機能の比率が高い。それで60分とか言ったらぶっ飛ばされますよ、しかも1時過ぎだったからピークは超えているはずだったのだが。ちなみに卒業の危機に立たされているskt氏は毎晩ベローチェに何時間も入り浸って勉強していたらしい。


これは驚いた。

で、今日をもって今季の試験全て終わりましたよ、と。最後に経済政策論を持ってこられてもやる気も何もない。特に2年は原論Aとかぶってるから誰も勉強してこないだろjk。たぶんとれたでしょう、この調子なら来年は残2単位で割と3男の中では優秀な部類に入るはずである。

やっつけで書くと何も面白くない

Night and

前回あれだけ騒いだにも関わらず、また二郎の話である。ちなみに今日は十六に行った。11時は、最初のロット(十六にロットなんてものはないが)の人たちが出てくる時間帯であるから一気に空きができる。俺が食い終わって出てきた11時半にはもう10人以上の固まり("列"ではないのがミソ)ができていた。

で、昨日馬場について熱く語ったわけだが、そんな僕に衝撃の情報が飛び込んできた。な、馬場二郎夜営業中止だと!?思わずRTしてしまうほどだった。僕は裏を取りに二郎板へと急いだ。すると画像付きで同じ報告がなされていた。どうやら2月から昼だけとなるらしい。だが1時間麺切れはさすがに糞すぎるから仕方ないっちゃー仕方ない。

こうして昨日書いたことが現実となってしまったのである。何もない日の昼にひとりでチャリを走らせるしかないな。こうして世界はまた一つグリーク ラブから二郎を奪った。池袋にうまい直系できないかなー。イケジは客をなめすぎ。

昨日の記事に追記すると、かのおkb氏の「バカの一つ覚えみたいに二郎だのフジマルだの言ってる奴ら」という発言はおそらくその時に生まれたものであったと思う。

明日は試験が1、2、3です。俺は何をやっているんだ。

良好な馬場

僕の足は止まらなかった。

試験が4限だけであったので、それが終わると同時に自転車をこぎ出した。やってきたのは馬場二郎である。どうやら新年より店舗移転をして心機一転再スタートしているようだ。駅からは若干遠くなったが、池袋には近くなった。新目白通りに面していて、西武新宿線の線路をまたぐ必要がない。頑張れば歩いて来れる距離であろう。少なくとも桜台よりは近い。

基本的に昼営業をメインにやっていくようだ。夜の部は開店から1時間ちょっとで麺切れ終了といういい商売である。18時過ぎがデッドラインとなることを考えると、元気館の夜練後に行く希望はなくなり、例え昼練であったとしても割と苦しい。そうなると必然的に昼に行くしかなくなり、ニンニクをコールする選択肢は自動的に無くなる。こうして世界はまたグリーク ラブからラーメン二郎を一つ奪った。

近年は練習前に二郎を食うことはほとんどないが、僕も一度か二度やったことがある。その一回は移転前の馬場である。確かそうだ、一年のときの定演練、榎町の地域センターで練習があった時だった。僕は昼に一人で二郎に向かった。当時から二郎にはだいたい一人で行くことが多かった。じっくりと味わい、自分の中でちゃんとした評価を下すためである(実際のところ当時はそこまで二郎派がいなかったばかりか、じぇt糞が早々と引退宣言を出すなど、肩身は狭まる一方であった)。

まだ小麦価格が落ち着いていて、値上がりする前のことだった(元から高かった馬場に関して言えば明らかな便乗値上げであった)。僕は下から2番目の大きさのラーメンを食った(と言っても常識に照らせばいわゆる"小"である)。トッピングは野菜アブラであったはずだ。記憶がかなり薄れているが、あの時は確かスープを完飲した。それくらいあっさりと食べやすい二郎であったと記憶している。

馬場の二郎の特徴と言えば、汚い店内、アブラで滑る階段、そして何よりも二郎にしては珍しく糞熱いラーメンを出してくることであった(フジマルに行ったことのある諸兄は分かるだろうが、あの店主は先にスープを作りおきするためにカウンターに出される頃には既にぬるい)。馬場の熱さは今も変わらない。

で、一杯食った僕は練習場に向かって歩き始めた。すると、05のおkb氏と出会ったので、そのまま馬場の大通りを二人で歩いていると、彼はあろうことか適当なラーメン店を見つけ、「ラーメン食おうぜ」と言い出したのだ。僕は死んだと思った。答えに躊躇していると「おごってやるよ」と言う。何か彼は勘違いをしていないだろうか。結局一杯ごちそうになった。案外あっさりと腹に収まったのである。割と満足していた僕の隣で当の本人は「ここイマイチだな」と厳しい評価を下していた。

それぐらい相性のいい(という表現が妥当か分からないが)二郎だったのである。ちなみにtkr、sksーという会計コンビに連れていってもらったこともある。ある練習の無い日、メトポリの近辺をフラフラしていると二人がいたのだ。当時旧マルジから改名したばかりのフジマルがうんぬんみたいな話をしていたからたぶん1年の9月ぐらい。僕が04と共に二郎を食したのはこれが最初で最後だと思う。馬場はある意味池袋よりも桜台よりも思い出の詰まった二郎なのである。

で、16時25分ぐらいに大学を出た僕は15分ほどで店に着いた。その時点ですでに7人の列が出来ていた。17時の開店時刻となりブラインドが上げられると、そこにはかなり狭くなった店内。12席であったが、コの字のカウンターの道路に面する部分は奥行きが全く無く、人の後ろは通れないので一度店の外に出て水を汲んでこなければならない。カウンターの高さにも驚いた。

出てきたラーメンはまっとうなものだった。馬場の特徴は残されていたが、前よりもおいしくなったような気がする。カエシが強く出るようになったのだろうか、最初は馬場の味がして、食べ進むに連れて少し桜台のような味に近づいたように思える。そして不思議だったのは、麺を食い終わった後にスープをすすると、フジマルのそれと同じ感覚(あの味を僕はプリッツを噛み続けた時の甘みと表現するのであるが未だ賛同を得られたことはない)になったのである。これは新しい発見だった。結局のところフジマルも二郎赤羽店であったことを考えると、根底には同じものが流れていてもおかしくはない。興味深い発見である。

いや、普通にうまかった。まだ桜台の方が好きだけど、
・電車で桜台に行く:650+140+140(椎名町から往復)=930 or
・チャリで馬場に行く:730+0+0=730
うーん、これは勝敗明らかか?というか桜台で一杯食うのにこんなに金をかけていたのかと思うと愕然。金のかかる食い物である。

めーかっぷ

若干古いネタではありますが…

「嘘だろ・・・!?」世の中の女性を信じられなくなる写真
D

うーん、フォトショかもしれんがグリーク ラブにも若干の希望が…例え作られたかわいいであったとしても、日常生活を送るぶんには全く問題ない。メイクが落とされるような場面に遭遇することはないからである。僕らはそういうふうに後のことを心配するような立場ではないはずだ。というか、対外的なものが結構重要で、サークルのイメージアップはまず外面からであるので、「グリー男声には興味がない」から適当なメイクが許されるのではなく、「アイビーでそれを世間に晒して恥ずかしくないか?」ということを考えにシフトをするべきである。自分のためももちろんだが、突き詰めると世のため人のためということもできるであろう。グリーではメイクをしてくればやれ化粧が濃いだのやれ無理をするなだと文句が多く、ノーメイクだとやれ手を抜くなだのやれ最低限の礼儀は正せだのと文句が多い。勝間氏(笑)は「結局女はキレイが勝ち」とおっしゃったが、説得力がないだけで言ってることは正解である。うまくやれば誰もクレームはつけてこない。みなさんも頑張って顔を作ってください。僕たちも痩せる努力をします、させます。

と言いつつ僕の足は山盛山に向かった。この間ラーメンを食べて、大よりはマシだと思ったからである。昼だったし。ボロクソに叩かれている山盛であるが、タイトル保留(仮称)では擁護の姿勢をとりたいと思う。まぜそばこそ糞であったが、ラーメンは650円としては分相応の出来だと思う。量は大したことないが、ボキボキ系の平打ち麺は大の意味不明な麺よりもよほど食べている感が出ている。スープはかなり甘めだと感じたがニンニクとの相性は悪くなく、野菜も含めてあっという間に食べきれてしまう。肉も崩しになったようだ。直系におけるような真の満足を得ることはできないが、立地や混み具合も鑑みて、昼時や半端な状態のときの何となくインスパイアな気分を満たすには十分ではないだろうか。

千代田区内は吸えない

左には総合案内のお姉さん、右にはアニメ声の眼鏡、そんなこんなで3日間の僕の今年のドームバイトは終わった。たぶんこれで通算10回目だと思うのだが、いつ来てもやっていることは変わらない。オバチャンたちは「百恵ちゃんどこ?」ばかりだし、外人も「Card,OK?」しか聞いてこない。まあ、その他色んな質問のバリエーションはあったけども、こんなサルでもできる仕事なのにこの金払いのよさ。素晴らしいバイトだ。心残りはまたしてもロクに英語を喋れなかったことである。ただし何となく心とは通じ合うものなのではないだろうか。などと言っていてはたぶん一生話せない。

締めは神保町二郎である。ドームバイトの後の神保町、怖いのは死刑宣告だ。8時を回ると危ないだろうと考えた僕は、タバコをふかすメンバーを急かし早足で店に向かった。店に着いたのは7時半であったが、僕らは行列を見て愕然とした。最後尾が靖国通りの歩道まで来ている。もう少しで折れ曲がりそうか、というところであった。経験上、並び1時間は固いと踏んでいたが、1時間では到底終わらないというのは誰が見ても明白だった。その後僕ら6人の後ろに男が1人並ぶと、助手が列の人数を数えに来た。まさかと思うとそのまさかで、助手は例の恐ろしい看板を持ってきたのである。助手は最後尾の男に看板を持って動くよう説明すると、足早に店へ戻っていった。そう、まさかの7時半死刑宣告である。僕らは間一髪命を繋いだのだ。タバコがあと1本吸われていたら確実に死んでいた。急いでよかった、と心から思ったのである。ファーストロットは狙って取れるが、最終ロットはなかなか狙って取れるものではない。割と貴重な経験をしたのではないだろうか。

並び始めてから店に入れるまで、結局2時間を要した。代償は大きかったが、得るものも大きいのが神保町二郎である。ドンブリの中に所狭しと詰められた麺、柔らかい豚、完飲いけると思わせるほど絶妙なスープ。いいねえ、神保町は心を癒してくれる、リリンの生んだ文化の極みだよ。

二郎よければすべてよし
ということでニンニクくさいまま帰宅したのであった。